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【趣味】Ninco ACURA LMP2 ”Patron”
・スロットカーのお話

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 いよいよ以前からもう気になって、欲しくてしょうがなかったNincoのAcura LMP2"Patron"を某所で見つけて買ってしまいました!!
 このマシン、近年のLMPカーでは一番好きなマシンなので、もう手にしてみたくて……!!

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・しかし、このマシンのファンとしてはAcura LMP2という商品名はちょっといただけない!!
 ここはこのマシンの正しい名前「Acura ARX-01b」という名前にして頂きたかったものだ。

 チーム名もきちんとHighcroft Racing と表示してもらいたい……モデル化に当たっての、マシンやレースに対してのパッションが足りないぞ!Ninco!
 だってポルシェ962Cや956が一緒くたに「ポルシェグループC」とか書かれてたらイヤでしょ?

・日本ではあまり馴染みのないルマンプロトのカテゴリー、このマシン「Acura ARX-01b」はハイクロフトレーシングの手によって、2008年のALMS(アメリカン・ル・マン・シリーズ)を戦ったものです。
 ドライバーにはデビッド・ブラバム、ステファン・ヨハンソン、スコット・シャープの3人の名前があるので、仕様としてはセブリング12時間をモデル化してるみたいだけど……

 どっちかといえば初のP2クラス優勝を遂げた第3戦ロングビーチ(初優勝記念Tシャツまで販売された!)か、ライバルのペンスキーポルシェやアウディR10を破りオーバーオールで優勝を遂げた、第5戦ライムロックパークの方をモデル化するべきだったんじゃないかとも……

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(もっとも、単純にカラーリングを担当したESBGデザインの開幕前のプレスキットから、モデルをでっち上げた感もして、モデル化に当たってのやる気をあまり感じないんだよなあ……)

そもそもアキュラARX-01ってどんなクルマ?
 日本語版のWikipediaに結構詳しくこのクルマの概要が記載されてるけど、北米ホンダが開発したル・マン・シリーズをターゲットとしたP2(上から二番目のカテゴリーになるクラス)マシン。
 というのも、ホンダはインディ(IRL)のシリーズに参戦していたけれど、このシリーズがホンダエンジンのワンメイクになるというので、スポーツマーケティングの都合上「新たなライバルを求めに」参戦を開始したのが2007年。

 エンジンは本田技研栃木研究所ではなくて、米国のHPD(Honda Power Development)によるもの。
 シャシーは06年当時、マトモに走るかわからないけれど、倒産寸前火の車状態で激安で投げ売りされていたクラージュ製のLC75と、大体はきちんと走る比較的常識的なシャシーであるローラB06/40の2種類を購入し、そのうちワース・リサーチ社で大幅にモディファイされて登場したクラージュLC75が「アキュラARX-01」という車両です。

 07年のウィンターテストで見たこのマシンの姿がカッチョ良くて、もうほとんど一目惚れだったんだな!
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▲その時のテンションで描いたアキュラ・クラージュLC75を、かつてのアキュラスパイスカラーリングでの妄想絵。

 走らせるチームは主にIRLのチームをALMSに連れてくるというHPDの構想で、1台のアキュラARX-01をAGR(アンドレッティ・グリーン・レーシング)が走らせ、もう1台のローラB06をフェルナンデス・レーシングが走らせるという形で、この二台が実質上のホンダ・ワークス体制。
 IRLシリーズと無関係なハイクロフトレーシングは、3台目のアキュラとして「カスタマー扱い」としてアキュラARX-01を走らせました。

 え?なんでIRLともホンダとも無関係なハイクロフトがおるの?

ハイクロフトレーシングとは……?
 ハイクロフト・レーシングはミリオネアであり、オーナードライバーでもあるダンカン・デイトンが率いるチーム。 スポーツカーレーシングには90年台終盤から名前が確認できる。
 主にインタースポーツや、ナイトホークレーシングあたりのMGローラEX257に、ジェントルマンドライバーとして乗り込んでいて、主戦場は主にALMS。 2003年にはナイトホークレーシングからル・マン24時間レースにも出場している

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▲Highcroft Racing Lola EX257 (2006)
 そんな縁があったのかわからないけれど、06年に自身のチームハイクロフトレーシングを立ち上げ、5年落ちのMGローラEX257をダイソンレーシングから買い、ALMSに参戦。

 話題はそれるが……RSCの資料にはこの時のMGローラのエンジンがAER製の直四ターボエンジン(MG-XP20改型と思われる)と書かれてるけど、確かダイソンレーシングはドライバビリティがあまりに悪すぎるせいで04年位からジャッドの3400cc・V8エンジンに載せ替えていた記憶があるんだけど、イマイチネット上では情報が少なすぎて確証できない。
 06年当時、MG-XP20型はほとんど淘汰されており、AERの改良型の直四ターボを購入してない限り、ハイクロフトが走らせてたEX257もジャッドエンジンの可能性が高いはずなのだが……


 旧態然としたローラEX257よりもアキュラのスポーツカープロジェクトに興味が出るのは、野心的な側面において至極当然な成り行きで、ダンカン・デイトンがどう口説き落としたのかわからないけれど、HPDは3台目もARX-01をハイクロフトに託すことになった。

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▲Highcroft Racing Acura ARX-01 (2007)
 
 それに応えるように、ハイクロフトはアキュラ・HPDのコーポレーテッドカラーである青のカラーリングをまとい、ドライバーもワース・リサーチ社と関係の深い、元F1のスプリンターであるデビッド・ブラバムと契約、ダンカン・デイトン自身と組み07年のALMSを戦った。
(アキュラのシャシー開発を務めてたワース・リサーチ社はご存知奇才デザイナー「ニック・ワース」のファクトリー、かつてニック・ワースが代表を務めたF1チーム「シムテック・グランプリ」で、そこでエースドライバーを務めていたのがデビッド・ブラバム)

 この当時、アキュラのライバルとして立ちはだかったのは、同じP2カテゴリーに君臨していたポルシェRSスパイダーと、P1クラスの王者アウディR10。
 細かい話は割愛するがALMSの性能調整の関係でカテゴリーは違えど、この3車種がトップ争いを繰り広げたのだが、アキュラはもともとひどい失敗作だったクラージュLC75をベースにした車両のため、コースによってはひどいピッチングに悩まされ、シーズンを通して時折俊足を見せることはあったものの、パワフルなホンダエンジンに頼ったアキュラは、ポルシェやアウディを打ち負かすことは敵わなかった。

(いくら激安で投げ売りされてたとはいえ、そこそこきちんと走るローラB06ではなく、失敗作であったクラージュLC75を、ニック・ワースは開発の軸に据えたのか、今となっても謎であるが、一梨乃みなぎ個人の好みから言わせれば、クラージュのほうが好みとしてかっこよかったのでヨシである)


・アキュラは06年の企画立ち上げ時から、ル・マン24時間への出場も長期的な視野として捉えていたが、まずはALMSでポルシェを打ち破ることが絶対的な条件と言えた。
 2年目となる08年、前年のARX-01を全面的な改良を施しARX-01bと名付け、コレを4台ALMSに送り込んだ。
 主に空力面(サイドボディの分離構造)やトランスミッション、電磁式パドルシフトなどが多く改良されたが、モノコックや多くの基本構造はクラージュLC75の物を流用する。(あくまでも勉強と言う意味だったからなのだろうか??)

 ハイクロフトもそれまでオーナードライバーだったダンカン・デイトンは一線を退き、もう一人のスプリンタースコット・シャープがデビッド・ブラバムとコンビを組むことになり、ソフト面でも充実を図った。

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▲Highcroft Racing Acura ARX-01b (2008)
 コレがNincoがモデル化したハイクロフトのアキュラARX01。
 この年から、新たに加わったスコット・シャープが持ち込んだと思われるスポンサー「Patron」のカラリングをまとってALMSを戦う。

 開発の進んだアキュラは、この年、ポルシェやアウディ勢と互角以上の戦いをALMSで繰り広げた。
 ハイクロフトは先に書いたように第5戦のライムロックパークでアキュラ勢として初の総合優勝を果たし、他にも多くのポールポジションを獲得し、もはや第3のカスタマーチームではなくなっていた。

 この年アキュラはタイトルには届かなかったものの、ライバルとは五角以上の戦いをしたことからか、全くの新車ARX-02を制作しいよいよP1カテゴリーへ進出する。
 そのとき、アキュラのワークスチームとして指名を受けたのはハイクロフト・レーシングと、ジル・ドフェラン・レーシングの2チーム。
 クラージュLC75用のものではなく、新たなモノコックを設計し、秋口にはパーツが完成し年内にはテストがスタートする計画だった。
 しかし、この年に起きた経済危機がアキュラのプロジェクトを、そしてハイクロフトを揺さぶることとなった。

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▲Highcroft Racing Acura ARX-02 (2009)
 2009年アウディはシーズンを通しての参戦を取りやめ、ポルシェもALMSから撤退、せっかく作った意欲作ARX-02は前年までの濃密なバトルに比べると、やや拍子抜けしたALMSを戦うこととなった。
 
 そして肝心のマシン、アキュラARX-02は果たして成功作かどうかという部分については、意見が非常に別れるところだ。
 まず、セブリング12時間とプチ・ル・マン(ロードアトランタ)でしか、アウディやプジョーといった強力なライバルたちと対峙していないということ。
 確かにそのセブリングではポールポジションを獲得しているし、ALMSのシーズンタイトルも獲得している。
 だが、ロードアトランタではアウディやプジョー勢の後背を喫するどころか、クラージュLC70(先に挙げたLC75の姉妹車両)モノコックを流量するAIMエンジンのオレカにも負けている。
 インパクトの有る活躍が出来たかといえば、ARX-01bの方に軍配が上がるだろう。

 どちらかと言えば、このARX-02がもたらした技術的なインパクトの方が大きいかもしれない。
 何より、世界初の前輪と後輪が全く同じ径を持つ=大径タイヤを前輪に装備したレーシングプロトタイプカーだということ。
 それから、この年からレギュレーション化された小型(1.6m幅)のリアウィングの効果を上げるために採用された、スワンネックと言われる吊り下げ式のステー。
 しかし、この2つの革新的なソリューションを有効に活かせたか? アドバンテージはあったかと言われてみれば、なかなか難しい。
(あくまでも卓上ではアドバンテージはあったが、実戦での結果は伴わなかったといえる)


 いずれにしても経済危機の影響だろうか、アキュラは2009年を持って、ル・マン24時間への出場という宿題を残したまま、ALMSでのワークス活動を終了、アキュラARX-02は1年のみで、十分な熟成やポテンシャルを見せたかどうか……はっきりしないまま表舞台から去っていった。
 
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▲Highcroft Racing Acura ARX-01c (2010)
 アキュラはALMSを去った。
 しかしハイクロフト・レーシングは、ダンカン・デイトンは2010年もアキュラによるP1活動を望んでいた。
 それは、彼等がIRL(インディカー)とは繋がりのない、元々ALMSを拠点とし、アキュラのカスタマーチームだったという部分があるからかもしれない。

 経済危機によるチームの解散、撤退、ファクトリーの倒産が相次ぐ中、ミリオネアであるダンカン・デイトン自身が比較的潤沢な資金を持っているというのもあって、オフシーズンにはハイクロフトに多くのメーカーやファクトリーからのオファーがあった。
 そこにはル・マン制覇に意欲を燃やすオリビエ・ケネルのプジョー・スポールもあったし、ローラやザイテックも魅力的なプランを提案していた、更には林みのるの童夢もハイクロフトと接触していた。
 
 メーカーからの資金に頼らずに活動できるハイクロフト・レーシングは、冬の時代、非常に注目される存在になっていた。
 彼等には様々な選択肢があったが、結局ハイクロフトはアキュラは撤退したものの、北米ホンダ(HPD)独自のプロジェクトとしてアキュラ改めHPD ARX-01cとして、HPD独自による進化型のモデルをALMSで走らせることとなった。

 そして、経済危機や紆余曲折、進路変更があったにしろ、いよいよこの年、スポーツカーレースの最高峰、ル・マン24時間にハイクロフトは挑戦する。

 本来、ワークスではなく、カスタマーチーム扱いであったハイクロフトだけが、ワークスチームの最終目標だったル・マン24時間に唯一辿りつけたという事実は、なにかなかなか数奇な運命を感じずにはいられないね……

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(Photo by Eric Gilbert From Motorsport.com)
 ル・マンに登場したハイクロフトのHPD ARX-01cは、同じARX-01cを駆るストラッカ・レーシングと予選から激しいバトルを繰り広げた。
(スコット・シャープはル・マンには来ず、そのためか、いつものカラーリングながら、テキーラPatronのロゴは描かれていないという遠征仕様。代わりに書かれたマラリアの意見広告というのが、なんともミリオネアのダンカン・デイトンらしい。 ドライバーにはかつてアウディR10で、なんどもハイクロフトの前に壁として立ちはだかったマルコ・ヴェルナーがデビッド・ブラバムとともに乗り込んだ、まさにALMSオールスターチームと言える)

 結果、予選は二日目に僅差でストラッカレーシングに逆転を許し、P2クラス2番手から決勝をスタートすることになったが、それまでLMSで活躍していた他P2カー勢を圧倒するスピードで、HPDのマシンはサルテの森を駆け抜ける。
 ハイクロフトはストラッカレーシングとHPD勢でタンデムを組むように、どんどん上位へ進出、上位クラスのP1カーを出し抜いて行く様は、まるでかつてのアキュラ・スパイスがIMSAで活躍した時のよう。
 
 ハイクロフトはレース中盤にトラブルで遅れ、結果、下位に沈んだもののなんとかチェッカーにたどり着く。
 もう一台、ストラッカのHPDが順調に走り、ワークスチーム以外のP1カーをほぼ全車出し抜く圧倒的なスピードでクラス優勝を遂げる。
 総合でも5位に入賞し、91年にアキュラ・コンプテック・チームが立ち上げた「F1以外のホンダ・レーシングプロトタイプカー」において、20年年来の思いがこの時、やっと達成したといえるかもしれない。
 
 その後HPDは独自にALMSやWECようにARX01を改良、現在ARX-03cまで進化を遂げALMSを戦っている。
 ハイクロフトは2011年までHPDにコミットした後、独自にデルタウィングプロジェクトを始動し、HPDとは袂を分かつ。
 しかし、ハイクロフトのチームからスピンアウトする形で、スコット・シャープは独自にエクストリーム・スピード・モータースポーツ(ESM)を立ち上げ、今もPatronカラーのアキュラARXをALMSで走らせている。

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 ……とまぁ、マシンやチームに歴史ありなわけですが、ともかくもこやつはまだまだ走りが実車負けしてるので、ガンガン作りこんで、熟成して気持ちよく走れるようにしてやりたいですワァ
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by minagi_ichirino | 2014-03-26 17:46 | Slotcar